茗荷谷駅近くの「曹洞宗 青龍山 林泉寺」で坐禅体験をさせて頂きました。
坐禅(ざぜん)とは
少し興味があるんですが、
坐禅(ざぜん)って、どんなことをするんですか?
僕の想像だと「マインドフルネス」や「瞑想」と近いイメージかな?
座った状態で、姿勢を正して、呼吸をしていることに意識を集中する。
息を吸って吐いて、これを繰り返して、リラックス効果があるとかないとか?
「坐禅会」に行く機会があるから、また教えるね!
ぜひ、教えてください!!
昔は、「坐禅」という漢字が使われていたそうですが、「坐」という漢字が、当用漢字から外れてしまったため、今では「座禅」という漢字が使われているそうです。
坐禅会に参加させて頂いた時に、ご住職さまから、坐禅の「坐」の字は、「人と人が土の上で向き合っているでしょう。坐禅では、自分と向き合うのですよ」と、教えてくださったことが心に残っていて漢字が違うことに気づきました。
物理的に肉体を持ち、現世のルールにがっつり組み込まれている自分が、物理的なものを持たない、心を通じて繋がることができる、もう一人の自分と、ゆっくりと向き合い、触れ合える時間が、坐禅なのかもしれないと思いました。
なぜ坐禅会に参加をするのか
どうして「坐禅会」に参加しようと思ったんですか?
誰かに誘われたとか?
南直哉先生の著書「超越と実存」を読んで、曹洞宗という禅宗に興味が沸いたからだよ。
この本では、仏教の歴史を紐解きながらブッダが伝えた「悟り(さとり)」について触れ
ていて、読んでみて曹洞宗に興味が湧いたので、坐禅会に参加してみようと思ったんだ。
「悟り」って、なんか凄そう!?悩みや、苦しみから解放されるイメージがありますよね。
「超越と実存」という本を読んでみようかな・・・
とても、おもしろい本なので、おすすめするよ!ちょっと、分かりづらいところもあるけどね。
僕は、これまでに3回読んだけど、読めば読むほど、理解が深まってきて、どんどん興味が湧いてくるよ。今度、本についても紹介するね。
曹洞宗 青龍山 林泉寺
私は、曹洞宗に興味があったので、東京にいくつかある坐禅体験ができる寺院の中から「曹洞宗 青龍山 林泉寺」を選びました。
こちらの寺院では、1984年(昭和59年)に創設されて以降「心の道場」という坐禅会を続けて下さっているそうです。(運営を続けて下さっていることに感謝です)
私が参加した2023年3月時点では、毎週月曜 06:00-08:00と、毎週水曜 19:00-21:00に開催されていました。初めて参加する人は、毎週水曜 18:30から開催されている指導を受ける必要があります。参加するには前日までに電話での予約が必要ですので注意してくださいね。
東京メトロ丸の内線「茗荷谷駅」から徒歩3分♪
「茗荷谷駅」には改札口が二つありますが、どちらから出ても寺院までの距離に大きな変わりはありません。今回は、初めて降りる駅ということもあり、少し早めに着いたので「春日通り方面改札」を出て、目の前にあるセブンイレブンのイートインスペースで休憩をしてから向かいました。
指導が始まる15分前に到着!
林泉寺には、坐禅会が始まる15分前に到着して、受け付けや着替えを済ませておくといいです。受け付けでは、予約時に伝えた「名前」を伝えて、「浄財(500円)」を納めます。
私が参加した回は、初参加の人は4名でした。一緒に初回指導を受けました。ご住職様の説明によると、いつもと比べると少ないそうです。坐禅会の時は、ベテランの方や、外国の方が25名ぐらい参加されていました。
指導では、最初に副住職様から少しお話を伺いました。
日本で禅宗というと「臨済宗」と「曹洞宗」など有名なものがいくつかあるけど、何が違うのかな??
曹洞宗は、開祖である道元禅師の教えから、曹洞宗寺院の根本であり、
信仰の源である大本山は、都(みやこ)や権力から遠く離れたところに
創設されています。現在では、福井県の「永平寺(えいへいじ)」と横
浜市の「總持寺(そうじじ)」の2つの大本山があります。
臨済宗の寺院は、妙心寺(京都)、南禅寺(京都)、建長寺(鎌倉)などにあり、
仏門の方でなくても一度は訪れたことがあると思います。
「坐禅」を組むと、「悟り」が開けたり、「リラックス効果」があったりするのかな??
曹洞宗の教えには「見返りを求めない」というものがあります。
宗門の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」ただ坐るのみです。
坐ったからといって、何かを得られるわけではありません。
このように言ってしまうと、では、なぜ座るのかという想いが湧いてくる
かもしれません。自分という存在と、心静かに、向き合う時間だと捉えて
貰うといいと思います。
日々、向き合うことが重要なので、毎月1回寺院に来て坐禅を組むより、
週3日、1回10分でいいので、自宅で坐禅の時間を設けてもらった方が
良いと思います。
曹洞宗の修行って、どんなものなのかな?
曹洞宗の修行は、他の宗派の修行者からも厳しいと思われているようです。
実際には、ものすごい荒行や苦行を実践しているわけではありません。
ただ日々の生活の中での所作に様々な決まりがあります。
これを守り、生活することが難しいということはあります。
「心がこもっていれば、形はなんでもいい」という言葉が使われることが
ありますが、形を守ることが面倒だという甘えから使われていることもある
のではないでしょうか。
曹洞宗では「形を守ることで、自然と心がこもる」と教えています。
限られた時間ではありましたが、副住職様より、ありがたい教えを頂きました。
その後は、寺院の中での基本的な立ち居振る舞い、本堂への入り方、坐禅を始める前の所作、坐禅を行う時の姿勢など、様々なことを教えて頂きました。
坐禅会
少し休憩した後に、ベテランの方々と一緒に、本堂に移動して40分間の坐禅を行いました。
40分間、姿勢を崩さず、話さず、無心になり、ただ坐ることが、想像していたより大変でした。
足が痺れたり、眠くなったり、様々な感情が湧き起こったり、なかなか無心にはなれません。そんな心が乱れている時は、その場で、合掌をして待っていると、警策(きょうさく)といって、1メートル程の長さで、先の方が平らになっている棒状の宝具で、右肩を軽く打ってもらうことができます。
私が参加していた時も、あちらこちらで、警策に打たれている音が鳴っていました。私自身は、その音で眠気が飛びました(笑)
坐禅を終えると、ご住職様が本堂に来られて、一緒に読経します。
その後、本堂を出て、1階の広間に戻り、お茶を頂きながら、ご住職様のお話を伺います。
この時「仏心(ぶっしん)」と「布施(ふせ)」という言葉の意味について教えて頂きました。
「仏心」とは、見返りを求めない心、「布施」とは、見返りを求めない行動
現代社会において、見返りを求めずに生きることは難しいと感じるかもしれない。しかし、困っている人がいたら手を差し伸べる、電車の中でお年寄りを見つけた時にサッと席を譲る、こういうことは、誰もができることではないでしょうか。まずは自分にできることから日々意識をしてやっていきましょうということを教えて頂きました。
初めての坐禅会でしたが、日常の中で、意識できていないことや、ついつい置き去りにしてしまう感情に触れられる、良い機会となりました。
みなさんも、ぜひ、坐禅会に足を運んでみてください!!